NUA-OB
冨田哲男(とみた てつお)
(有)デコムデザイン代表
現在は、自身で設立したインテリアデザイン事務所、デコムデザインにて、商業空間・住宅・公共施設等の建築及びインテリアに関わるデザイン・設計・設計監理、家具・照明器具等のプロダクトデザインの設計・製作・販売を行っている。東京都内、多数のレストラン、ショップ、オフィスなどを手がける。アルカード(ショッピングモール)、ウォルトディズニー、クリスチャンディオール、スタンダード&プアーズ等のオフィスなど。
もの造りには言葉(コミュニケーション)が大事。
お話を伺うため経営するデザイン事務所へお邪魔した。東京都港区南青山、デザイン事務所……、絵に描いたようなとはまさにこのことで、テレビのドラマで見かけるような土地柄だ。どんな人だろうという興味と同時に、第一線で活躍し続けるOBを頼もしくも感じていた。
「最初は名古屋の会社に勤めて、3年も経たないうちに東京へ出てきました。今考えると、無茶苦茶ですよ。会社辞めて、車を売って4ヶ月分くらいの生活費を作って、生活費がなくなりかけた時に、やっと仕事が見つかって……」 1978年、第5期卒業生にあたる。当時の学校にはプレハブの校舎が点在していたそうだ。学生時代から頭の中はデザイン一色だった。そして大きな影響を受けていたのが桑沢デザイン研究所だった。「憧れましたね。デザイン関係のどの本を見ても“桑沢”の文字があった。東京へ出てくる前も、刺激を受けるため年に2、3回は名古屋から東京へ遊びに来てたんですが、どうしても東京で仕事をしたくなってね。運もよかったですね。友人の紹介で桑沢卒業生の集まりに出入りするようになって。横田凌一、北岡節男、森田正樹、3人のデザイナーに憧れて、東京へ来たんですよ」 そして、巡り合わせに導かれるように横田凌一の下で働くことになる。ヨコタデザインワークスタジオ在籍中には、東海銀行、シティーバンク、DCブランドのブティックなど大きな仕事も任され、チーフとなっていた。順風満帆にキャリアを重ねて、というわけにはいかない。何年か働くうちに独立したいという気持ちが大きくなり、仲間との共同経営という形で最初の会社、MDSを立ち上げる。だが、バブルが弾けた90年代、会社の経営は安定せず7年間で解散。その後、デコムデザインを自宅で始め、現在に至っている。決して平坦な道ではなかった。「インテリアの業界は資格はいらないですしね、人との出会いというかそういう部分でうまくいけば何とかなる。自分に運があったのかどうかはわかりませんけどもね……」 “運”という言葉を口にしたが、その運をたぐり寄せたのは行動力と情熱に違いない。学生時代のポートフォリオをいまだ大切にしていた。デザインという仕事に対する一途さと誠実さが、色あせることなく瑞々しく綴られている
「スタッフに絶えず言うんですけど、どういう職業でもコミュニケーションだと思うんです。デザイナーというのは、作家とは違うんです。人から仕事をする機会をもらって、相手のニーズを聞き取って、それを形にして返す仕事です。そのためには必ずコミュニケーションが発生します。コミュニケーション能力、それしかないとすら思ってるんです」 「デザインは相手がいて成り立つ仕事。どう思っているか探らなきゃいけない。どれだけ多くを掴み取れるかです。それから、プレゼンもしなければいけない。作ったもの以上に相手に伝えられるは“言葉”だと思うんです。言葉の力、それしかない」 独りよがりでは成り立たない仕事。「作ったもの以上に言葉が大事」 いいものを作るのには、考えに考え抜き、自分のありったけを振り絞るのは当然だ。そして、その上で“言葉”が必要なのだという。冷静に経験を振り返るようにして発せられた言葉は、あまりにも重かった。
「人がいいものを出したら自分はそれ以上のものを、負けないように努力していかないと。負けず嫌いなんですよ」 情熱は変わらない。