津田佳紀(つだ よしのり)
大学院デザイン研究科准教授
デザイン学部准教授
デザイン学科主任
<主な個展>
<グループ展 その他>
メディアと人と
私たちの歴史の中で生産されたすべての人工物とその意匠は、通常各分野の歴史(西洋美術史、あるいは近代デザイン史など)として、限られた時代区分と地域区分の中で研究されてきた。これらの研究は多くの成果をあげ、私たちに有益なものを与えてくれたが、対象を特定の地域や特定の時代に限定するあまり、事物の形成過程を近視眼的に見てしまうが故の誤診にも陥ってきた。例えば人工物の形成過程と、生物(自然界)の形成過程を混同して、不用意に進化論的な言説を人工物の歴史に持ち込み、多くの誤解を生んだケースもある。レーモンド•ローウィの『流線型デザイン』(※1)は、僅か五十年程度の自動車の意匠の変遷から、数十億年を射程とする進化論(自然淘汰)の言説を想起させる。しかしそれは生物学的な意味での分析ではなく、デザイナーがつくりあげた神話であり、進化論とは無縁である。また、作品や意匠の“意味”と“解釈”に重点を置きすぎる従来の歴史研究は、個々の“かたち”の研究から離れてしまった。このような問題点に異議を唱え、“かたち”の分析を展開したのが、ジョージ・キューブラー(George Kubler)の『時のかたち(The shape of time : Remarks of the History of Things)』(1962)という本である。それまでの美術史では、絶対的な年代と地域によって作品を分類してきたが、キューブラーは、「ある固有な時間を内在した一連の人工物のまとまり」を一つの流れとして、複数の時間軸を並行して認識し、その中に作品を分類していった。よく似た形状や時代を超えて繰り返し描かれるモチーフなど、それまでの美術史では語られることのなかった作品の関連性を説明しようとつとめた。
通常、デザインは、まずオーダーがあって、それに対してのアウトプットとしてのデザインなり商品なりが生産される。具体的な生産現場では極めて合理的な論理が働き、偶発性や偶有性といった不確定な要素はできるだけ取り除かれている。しかしながら、世の中でヒットしている商品を考えてみると、必ずしも顕在化したニーズがあり、オーダーがあって必然的に生まれてきたものばかりでないことがわかる。(この傾向は“工場”で作らない人工物 = 情報コンテンツやサービスプログラム等において特に顕著である)このような顕在化していない欲求や、歴史の中に堆積した無意識を、メディアを使って可視化してみようというのが、津田氏の一連の作品なのである。 「Discredit 5-1という作品は、イコン(聖像)の変遷に関する作品です。このCG作品においてサンプルされた図像は、時間的にはゴシックからマニエリズムあたりまでの100年間くらいの幅があり、地域もフィレンツェや、ベネチアや、フランスで描かれたキリスト像をモーフィングで繋いでいます。必ずしも信仰の意味や図像が象徴するものを探るだけではなく、イメージの変化を見て、これまで気がつかなかったものや偶然性、偶有性みたいなものが発見できるかもしれません」
扱うテーマによっては作品の意図を深読みされてしまいそうになるが、そういうことが目的というわけではないとのこと。むしろ、そこに現れる形やイメージから、新たな価値観や新しい見地でものを見る方法を意識することを目的としている。作品は、デザインの成果というよりは前衛的なアート作品に見えるが、根底に流れるものはデザインの可能性を広げるためのものという見方もできる。その成り立ち自体が、非常に興味深い。
「1960年代生まれの僕らが育った時代は、新しいテクノロジーの展開によって、アートもデザインも音楽もが変化してきた時代です。しかし現在はテクノロジーからの影響だけではなく、人間の知覚や認識がどのように触発されるかという点において、各領域の生産物のありかたが変化する時代になっています。流動的、偶発的にできている部分は、これまであまり語られていませんでしたが、社会を形成するための、もう片方の原動力になっているような気がしています。デジタルな技術を使って、記憶の中の無意識や、偶発的な欲求を引き出し、それにより新しい価値観へと更新されていくことが重要ではないかと。物事というのは複数の時間軸の中で同時多発的に、また流動的に起こっているということを受け入れたうえで、メディアの中でどのような表現ができるかということを考えていくことが重要ではないでしょうか」 インターネットが登場し、簡単にだれもが情報を発信できる時代が訪れている。またそれらのアウトプットが累積され新たなデータベース(ビッグデータ)として立ち現れる事態も起こっている。これらの事態をどう理解し、どのように対応するのか? また、変貌していくメディアと人との関係性は、どう変わっていくのか。興味は尽きない。
(※1:1930年代以降のアメリカにおいて流行した様式のひとつ。本来は流体力学の理論をもとに飛行機等の空気抵抗を低減させるために考案された形態だが、しばしば、それ以外の人工物にも適用された。)
Discredit 5-1(キリスト像部分のモーフィング習作)(1992年)
「聖母子像」(赤ん坊のキリストを抱く聖母マリア)と「ピエタ」(死後、十字架から下ろされたキリストを抱くマリア)からキリストのイメージをサンプルし、モーフィング映像とした作品。サンプル元は時代も場所も異なる絵画や彫刻。キリストの一生と美術史の時間の流れが二重写しとなる。
「都市を映す家」展から The History of Japanese Chineware (2012年)
大正末期から昭和にかけて陶磁器商として栄えた井元為三郎の旧邸宅「橦木館」にて、制作された映像インスタレーション。江戸中期に作られた古伊万里の蕎麦猪口から、井元が扱った輸出用ティーカップ、さらに現代の無印良品のカップへと、移り変わってゆくアニメーション作品。製品と生産技術、さらに大衆性といったものの変化を映像化。(原田昌明氏との共作)