2023年4月18日(火)~23日(日)、「第5回 名古屋芸術大学展 卒業・修了制作選抜」作品展が愛知県美術館 8階ギャラリー H・I室 にて開催されました。2023年2月に本学キャンパスで開催された卒業・修了制作展において優秀な成績を収めた卒業生17名の作品を展示しました。同じ作品ではありますが異なった場所での展示となるため、それぞれに展示方法を考え直したり、わずかな期間の間に作品をさらにブラッシュアップさせるなど、展示に工夫が見られました。
展示を担当したArt & Design Center 山本真弥圭さんは、「今回は、これまで以上に展示や照明にもこだわりました。この会場でここまで照明を落としたのは初めてではないかと思います。学内での展示とは、またちがった作品の表情をご覧いただければと思います」といいます。取材日は平日でしたが、場所柄からか多くの方が会場を訪れていました。山本さんによれば、学内での展示と比べたり、どの作品がグランプリを獲るのか関心を寄せたり、一定のファンを獲得しているとのことです。
2023年4月19日には、キュレーター・グラフィックデザイナー 特別客員教授 堤拓也氏が会場を訪れ、作品審査を行いました。
「展示自体、とても良かったのではないかと思います。賞には選んでいませんがデザインの渡部航介さん『流動と偶然』は、いい仕事をしているなと思いましたし、陸小燕さんの『架空の惑星 ニビルの世界』は、アップデートがあって良い展示になったと思います。今回の展示ではデザインとアートが別室になっていますが、アートはスッキリとした展示、デザインはいろいろなものがごちゃっとあるイメージです。展示のことを考えるともっとミックスして全体で見せることができればもっと効果的な展示になったのでは、と感じました。総じていえば、アート作品として質の高い宇留野圭さん、中崎由梨さんら大学院生の作品があり、山本将吾さんもそこに加わり、一方でデザインでは高岡卓史さんの『irene project』のようなクオリティの作品があり、渡部航介さんやグラフィックに関する作品もあり、いろいろな作品があり今後が楽しみになりました。取り組み方に方向性がしっかりとある人が今後も続いてくれればいいなと感じています」とコメントしました。
グランプリは、高岡卓史さん「irene project」、準グランプリは新川未悠さん「山にふれる方法」、山本将吾さん「[ ]」、「smooth stone」、「∞」となりました。
グランプリ
高岡卓史
トロンボーン、バリトンサックス、コントラバス、ドラム、チューバ、テナーサックス、トランペットと、自身が立ち上げた楽団メンバーそれぞれの演奏形態に合わせた椅子を設計し、なおかつ、各楽器を置いておける展示台のようにも機能する本プロダクトの完成度を評価した。
自身もサックス演奏者である経験から生まれた、未来希望性(「こんなものがあったらいいのになあ」的な)と現実否定性(「こんな椅子がない現実がむしろおかしい」的な)をデザインによって達成しようとしたところは、アートやデザインといったジャンル関係なく賞賛に値する。
また実際、展示という枠組の中で製品をプレゼンテーションし、より多くの観客に周知しようとする本機会においても、たとえばiPadを用いて映像を提示したり、楽譜に見立てたキャプションがあったり、場合によってはその2点専用の什器すらも自らの設計であったりと、数多くの工夫と譲れない質への探究心が見られた。これまでなかった耐久性を持つ物質を世界に1点新規投入したという点で、意義深い仕事だと考えられる。
準グランプリ
新川未悠
リサーチベースのプロジェクトやインスタレーションが無数に存在している昨今のアートワールドにおいて、出身地である愛知県新城市で祖父と父が携わっている林業にフォーカスし、かつてその祖父が71年前に見た「太い杉の木」を一緒に見つけにいくというアートドキュメンテーションは、場合によっては見慣れた手法と言えるかもしれない。
手ブレが激しい映像だけではなく、歩んだ場所を示す地図や、発見した大木の部分的な1/1モデルを並列したようなインスタレーションは、正直なところ、美学的により洗練されるべきという意見もあるだろう。しかしながら、絵画や彫刻といったクラシカルな形式と同様、こういったものが卒業制作展の段階で——こういって良ければ非常に無垢的に出現しているという点で評価することは、いま大学で芸術を学んでいる後続世代にとって意味があると考えた。
仮にも絵画が強い地域性の中で、時代の要請やメディアの多様化を汲み取り、とはいえいずれ消えゆく祖父の経験や彼の生そのものを「芸術に便乗して」定着しようとした試みは実際、十分な見場を持つ作品でもあった。
準グランプリ
山本将吾
3つのシリーズを空間内に展開した本展示自体の功績というよりもむしろ、これに先立ち実施された「名古屋芸術大学卒業制作展」(会場:名古屋芸術大学西キャンパス)からの作品および展示の更新性を評価した。
話はやや迂回するが、美術史的にミニマリズムが作品の自律性を放棄してしまった以上、極論、インスタレーションは異なる観客が訪れる度にすべてが新作とも言えるくらいその「状況全体」は変化し続ける。とはいえそれでは作品の外郭を定位できないがために、「いったん流動的な観客のことは忘れて、展示環境や空間くらいまでを作品の一部にしておきませんか?」という現実的な取り交わしがあると考えている。
それゆえに本作は、名古屋芸術大学でも、愛知県美術館でも同作品として措定可能であり、また別の会場でも同作品としてインストールされ得るが、その中でも人間の認識を扱う《 [ ] 》は今回、その意図性がために、前回に比べて大きな変更がなされている。かつて1対の大きな准矩形は、本展示では3枚の小さな矩形となって空間に収まっているのだ。そういった環境・状況に合わせて配置の技芸以上のスケールで変更してくる狙い深さは、着目に値する。