連携でどんなことが起こる?
米山:美術の領域では、分野を横断して、それをもとに表現したり、共同作業したりすることが以前から行われていますが、今回はデザインと協働するという形をとりました。美術という大きな括りの中ではそれほど特別な意識はないと思います。デザインは何かを解決するという方法論をしっかり持っていて、美術の世界の開かれた問いみたいなものにデザイン的なアプローチの方法を持ち込むことは、美術にとっても異なる視点が生まれるのではないかと思います。そうした点からもすごく良い展開になるんじゃないかと、私はポジティブに考えています。
中田:もともと僕自身、デザインから美術へ流れてきた人間です。デザイナーになりたくて大学に入ったけれど、あるとき方向転換というか、意識が変わっていきました。デザインの中だけでデザインを考えていても、工芸の中だけで工芸を考えていても詰まってしまう。そのことに大学在学中に気が付きました。「工芸リレー」では、メタルの講評会に、引っかき回すといってはなんですが、変なこと言ってるなぐらいの感じでいいと思って参加しました。それには気付けなかったなと時間が経ってからわかるみたいな、そういうきっかけになればいいと思っています。わだかまりを残すようなことがないとその次に発展していかないので、僕はバグを起こすために行ったみたいな感じですね(笑)。
最近、人とのやりとりは工芸素材とのやりとりに似ている気がしています。コントロールできない何かが存在していて、なんとかしようとアプローチするけれど、勝手に思わぬことになっていってしまう。それで作り手としての僕らは、どうやってそれを解釈していこうかと思案する。その問いかけとリアクションがあって、それでしか育まれないものがあるのかなと思います。
扇:素材って自分とは違う他者なんですよ。私たちは日々、その他者に対峙して制作している。それぞれの素材によって違いますが、思い通りにはなかなかならない。出てきた結果を見ながらこちらも考え方を変え、寄り添ったり、ねじ伏せたりするというのもあるかもしれませんが、そこから次のアクションが始まる。工芸では共通してますね。
米山:とりあえず目標に向かっていくんですけれど、必ず素材にねじ伏せられてしまって、わーっ、どうしようとなって、そこからもう一回始まる。そうすると最初に思っていたものよりも良くなることが多いですね。
扇:だいたい良くなるものですよね。自分の経験としてはそう。失敗だと思ったことや、思い通りにならなかったことが、面白かったり、新しい魅力を発見したり。
中田:起きたことに反応していかないと、紋切り型になってしまう。すでにあったことをなぞっていると、それ以上にも以下にもならず、ただできたなというだけ。それではその先が見いだせない気がするんですよね。
自由にならない、思った通りにならないことが大事
扇:学生は、工芸をただ美しいものと思っていて、美しいお茶碗とか、美しい織物というようにイメージしています。ところが実際の作品では、思い通りにできず美しいの概念からはみ出てしまいます。学生はそれが許せない。でも、失敗だと思っている部分が、見方を変えれば面白い作品になっていることもあります。その人の手の動きと作品がマッチして良い味になっていたり。そうしたことを講評会では評価して伝えます。学生たちにとってみれば、失敗したと思っている部分を良いと言われるわけで、中田先生がおっしゃったみたいにすぐには理解できないかもしれません。卒業後にわかるということもあると思います。そうしたことは私たちも経験しています。昔、自分の作品で言ってもらったことに、そういうことだったのかと数年後に気が付く、そういう経験をみんなしていますよね。その人の手の動かし方、器用だったり、不器用だったり、かえって不器用な人のほうがその人にしかできないものが生まれる可能性もあります。いろんな視点で見て、そうしたことを積極的に認めていきたいと思っています。
中田:学生はよく勘違いします。とくに大学に入りたてのとき、「私、上手くできないから」とよく言います。じゃあ、なにをもって上手いと言っているのかと。だから『下手に描く』いう課題も出すんです。すると描けないんですよね、下手を上手く描いているんです。上手さに対する刷り込みがあり、それに対して上手くできないと言っていて、自分がやったことに対しての他者や素材のリアクションをきちんと判断していない。自分の思い込んでいることとの整合性しか考えていなくて、新しいことに気付こうとしない。話をしていて気付くことや、話題がどんどん変わること、こういう育みが素材の中にはあるような気がします。わかりやすさばかりが持てはやされる時代の中では難易度は高いのかもしれませんが、そこが工芸の面白さなのかもしれません。
扇:工芸ではとくに、ものの成り立ちが大事ですね。それはどのコースでもやっています。
米山:技術では測れないところに魅力を発見することもあるし、自分だけではそれになかなか気づけないことが多いので、この様な連携でいろいろな物や人と関わりながらわかっていく、そこに意味があるのだと思います。
扇:今の学生は、自分の意思通り行動してきたと錯覚するように育っていると思います。ふんだんにいろいろなものを与えられて、良い消費者として育てられていると感じます。だけど、制作にかかわるとそれでは立ち行かないことがいろいろ起きてくるわけです。自分の思い通りにならないことと対峙しなくてはいけないことになる。そういうことを3年、4年とやっているうちに、だんだんわかってくる。もの作りをしていくうちに世の中や世界を理解していくみたいな、そういうところがあります。工芸は頭でっかちになれないんですよ。
中田:素材を通して実感を得る領域とも言えますね。
扇:実感を得ないと、新しい素材の扱い方って出てこないじゃないですか。まず実感を得ること、それができると先に進んでいけますよね。
米山:土や金属は、地球の中にあった自然物が素材じゃないですか。考えてみると、人間も自然物だから、そこで馴染むことや馴染まないこと、素材と同じように人間にもあるんだなと感じます。降り積もったものが土になり、動物や植物がテキスタイルになる。昔から今までずっと人間の身近にあったものです。ですから、人間もすでに素材なんだなと思うことがあります。
中田:そうなんですよね、やっぱり素材と人間って同じなんだなと、そんな気がしています。