准教授
高校生の頃より地元名古屋で演劇活動を始める
他、数多くのアニメーション作品、ゲーム、ドラマCDなどの作品に音響監督、音響演出としてかかわる
もともとは劇団でお芝居をされていますが、演劇とのかかわりはいつからですか?
中学生のときに、新聞の協賛だったお芝居のチケットをいただいたことがありました。「12ヶ月のニーナ」という作品で、見に行って衝撃を受けました。僕はずっとスポーツ少年で演劇を見たことがなく、ワイヤーアクションで空を飛ぶわ、役者さんの身体能力も尋常じゃないわで、すごい世界があるんだと舞台の迫力に圧倒されました。それですぐ、劇団を調べて入団しました。その劇団で、まずは高校生になることを優先しなさいと言われ高校へ入学し、演劇部に入りましたが、顧問の先生がしっかりした方で、活動しているうちに仲間が増え、大学へ入って劇団を作りました。そういう流れで、もともとは役者になりたかったんです。
役者志望だったんですね。でも、途中から作る側に変わっていきます。その経緯は?
当時の劇団の演出は暴君で、怒鳴るわ、スリッパは投げるわ、当時の演劇界では当たり前でしたが、そんな世界でした。あのスパルタなやり方で、そこに感動があるのかな、と疑問を感じながらやっていましたが、主宰のやりたい世界が僕の中では自己満足に思えてしまう。僕はお客さんを楽しませるお芝居がしたい。もう袂を分かつしかないですね。大学生のとき、自分のやりたいものをやる形で離れました。役者だったのに演出の考え方が嫌だったからと離れたわけですが、結局、役者は与えられた作品をいいものにするのが仕事で、それ以上は違う領域だと思いました。自分の考えているものを作るには、やはり作り手になるしかないと悟りました。
作り手になるということが音響監督へとつながるわけですね
劇団に在籍している頃、自分が出ていないシーンで音楽を出すようなことをやっていました。昔のお芝居は役者がなんでもやらなければいけなかったので、裏方の仕事も当たり前にやっていました。役者がやりやすいタイミングですっと音楽を入れて、盛り上がってきたと思ったらレベルを上げたりとか、いいと思うことを勝手にやっていました。それが明らかに得意だったんです。演じている役者からもハマノ君が音を入れるとやりやすいし気持ちいい、と好評でした。お芝居がすごく好きで役者をやっていたのですが、こうしたことで、音のこともすごく好きだったんだとわかりました。よく、才能とは頑張らなくても人よりうまくできることだと言いますが、音響に関しては僕の場合はそれで、気づいたらわかっていた感じです。でも、ずっと演劇のことばっかりやってきたので、音のほうへ行こうとは思っていませんでした。それが、師匠の三ツ矢雄二氏に栄でばったり会って、僕が音響の仕事ができることを覚えてくれていて、そこからです。上京して劇団もやっていましたが、音響監督の仕事が忙しくなり、今も続いています。自分で考えてやってきたというより、流されてやってきた感じです。でも、流されるって、必要とされているということでもあると思うんです。誰かが必要とするからそこに流れていくわけで、音響監督にしても監督から必要とされているからやってるわけです。自分は必要とされる、これでいいんだと思います。若い人たちに伝えたいことは?
若い子たちは、受け身なんですよ。言われればやるけど、答えを待っているんです。クリエイターは提供していく、間違っていたとしても、とにかく提供しなければいけないと思います。質問では「どうしたらいいですか」と聞かれることが多いですが、そうではなく、「こうしたいのですが、どう思いますか」と聞いてほしい。自分で考えずに答えを欲しがる子が多いです。受け身ですぐに答えを求めるのではなく、自分で考えて答えをちゃんと提供する、こうなってほしいですね。声優のトップの人たちは、みんなしっかりと提供できる人たちです。監督が作りたいものを提供するけれども、監督が気づいていない、もっと作品がよくなる可能性を提供してくれます。監督の世界を理解した上で、自分の持っている技術で監督の思っている以上のものが出せたら、作品はよくなります。そのためにみんながそれぞれ考えているのです。