さかい たけひろ
准教授
映画とのかかわりは、どこから始まるのですか?
小説を読むことや、映画を見ることが好きで、文化的なものに関心がありました。でも、絵を描くことや楽器を演奏する技術もないので芸術大学には行けない。文化や芸術に近い分野で一般の4年制の大学に進学するとしたら文学部しかない。そこで文学部に進み、実験やデータを扱うなど、理系の要素にも興味があったので、心理学を選びました。その一方で、自分自身の興味関心は、やはり映画。その当時は、映像や映画を専門とするコースもなかったので、映画サークルに入りました。そこでは、8ミリフィルムで映画を作っている人たちがいて、非常に楽しそうでした。そのつながりから、珍しい映画館でバイトしてみないかと紹介され、今池の名古屋シネマテーク(2023年閉館)でアルバイトを始めました。そこへ映画を見に来る人は、一般の映画が好きだという人とはまた異なるタイプで、自分でも作っているという人も多く、交流が始まり、他の大学の映画を作っている人たちとも知り合いになり、だんだんネットワークが大きくなり、大学の本来の勉強よりも映画に比重を置くようになりました。
就職についてはどのように考えていましたか?
企業に就職することは考えていませんでした。自分としては映画に興味がどんどん傾いていたけれども、映画の仕事は東京以外にはない。ただ単に卒業するだけでは親は許さないだろうし、ある意味、説得材料のひとつとして進学を考えたというのがじつのところです。卒論では、心理学の見地で映像の物語をどのように人間が理解しているのかということをテーマに、被験者に映像を見てもらい、インタビューし数値化してまとめるようなことをしました。そうするうち、自分自身が映画のことにもっと詳しくなければ、もっと理論的なことを学ばなければわからないと思い、大学院に進学するとき、映画の歴史を専門にしている先生がいらっしゃる研究科に進みました。
そこから映画の研究にどっぷりつかっていくわけですね
最初の2年はいろいろな本を読み、歴史についても詳しくなりました。そして、テーマを決めて論文を書こうとするんですが、自分はこの先どうなるんだろうかとも考えるんです。本当は映画を作る側になりたかったのにと思い、1年休学して作品を作り、3年かけて修士課程を修了しました。博士課程でも、映画業界の問題や地方で独立系の映画を見てもらう難しさなどを考えながら、自分の研究と博士論文を進めました。博士論文ですが、3年間で書き切ることは難しいものです。多くの方が海外へ留学して書き上げるんです。自分にもそういう時期が来ていましたが、やはり立ち止まり、自分自身は大学の先生になるつもりなどまったくなかったのに、キャリアを積むために留学とか今やることなのかなと迷ってしまい、博士課程を中退し、いろいろなバイトをやりました。バイトのひとつとして大学や短大、専門学校で講義をするうち、本学でもお仕事をいただいて今につながっています。親には、いつになったら就職するんだと、いまでも言われます(笑)。
若い人たちに伝えたいことは?
楽しく生きるのが一番、人生なんとかなるということですね。芸術教養領域では、何者にもなれるということを掲げていますが、逆に、何者にもならずにどこまで生き続けられるかということもすごく大事だと思うんです。いろいろな人と話をしたり、いろいろなことを知ったり、いろいろなものを見たり、聞いたり、読んだりして、何者でもない自分でい続けることによって、どこに行っても適応できる人になれるのではと思います。もちろんスペシャリストであることもすごく大事なんですが、例えば映画のことだったら自分は一家言あるとはいえ、業界の中のなんという仕事かというと、別に名前があるような職業ではまったくない。そのような、自分の専門領域を基礎にしながら、他の領域とコミュニケーションを取って別の新しいなにかを生み出していくことができるといいのかなと思っています。これからの世の中、そういう答えのないことが増えていくのだろうと感じています。