よしだ ゆり
准教授
美術とのかかわりは、どんなところからですか?
私は東京都墨田区の区立中学校に通っていたんです。すぐ隣に私立の男子校があって、横を向けば教室も見えるんです。私立のほうにはエアコンが付いていましたが、区立のほうはもう暑くて、エアコンを付けてほしいなと思っていたところに東京都現代美術館ができました。1995年です。その現代美術館が、リキテンスタインのポップアートの漫画みたいな絵画を6億円で買うというんです。当時、大きなニュースになりました(「ヘアリボンの少女」事件と言われたほどで、都議会でも批判されました)。もう、怒り狂ったわけです、エアコンが何台付けられるんだと。それで、美術館に文句を言いに行こうと自転車で乗り込んでいったら、その絵画にすごく感動してしまったんです(笑)。ドットがペインティングで描いてあるということに感動して、ニュースで見て知ったかぶりをしていたなと反省しました。それから、放課後通うようになりました。美術館には、よくわからないこと、学校で習わないことがたくさんありました。ジェフ・クーンズの掃除機があったり、カレーライスで顔を洗う映像作品(木村太陽「Video as Drawing」)など、もう本当になんだかわからないものがたくさん置いてあって、今までなんと小さい価値観で生きてきたんだろうと反省しました。その「わからないこと」ということを肯定された気持ちになったんです。それで、美術をすごく好きになって、もっと勉強したいと思ったというのが始まりです。
作家になりたいとは思いませんでしたか?
強烈なものを浴びすぎていましたので、私にはこんなことを考える才能はないと、一瞬で諦めました(笑)。 だけど、美術にかかわるには、どうしたらいいのかということを調べました。美術館の中には、監視員さんとは違う、展覧会を企画したり、作品を調査したりするキュレーターという人がいる、人に伝える仕事があるとわかりました。では、キュレーターはどうしたらなれるのだろうと調べると、東京藝大、多摩美術大、武蔵野美術大に勉強できるコースがあり、多摩美術大へ行きました。でも、実際にキュレーターに会ったこともなかったし、アートの仕事とは言いつつ、どういう仕事が具体的にあるのかというのはあまり想像ができていませんでした。
学生時代はどのように過ごしていましたか? どうしてアートコーディネーターに?
1年生のときに友達に偶然誘われたのが、アートプロジェクトのボランティア。中村政人さんが主宰するコマンドNにお手伝いに行ったのが始まりでした。そこで、キュレーターやアートコーディネーター、美術専門の通訳、デザイナー、アーティストもいて、初めて生で見る職業の人がたくさんいて、大変ですがすごく楽しそうに働いてる姿を見ました。こうしたことをやっていくうちに、自分にはアーティストが作ったものを、美術館やギャラリーだけではなく、街の中など現実の社会につなげていく仕事が合っていると感じました。調整や交渉をする役、橋渡しする人ですね。その仕事がおもしろいなと思いました。
大学在学中から、週のうち何日かは横浜のBankART1929で働くようになり、あいちトリエンナーレが始まるときに、街の中で展示のできるスタッフが足りず声をかけてもらったのが名古屋へ来るきっかけです。名古屋は、アートセンターのような機能の場所が少なく、まだないものを作っていける土地だなと思っています。
現代美術を見るときのポイントを教えてください
美術は、世界のいろいろな事柄の窓や鏡になっていると思います。美術だけを勉強していても、その作品の外に広がってる世界や社会を理解していないと、その作品を見ることができません。作品を理解するためには、社会をもっと知ることが必要ですし、美術以外のいろいろな分野に興味を持つことが大事だと思います。今も、環境問題、政治や戦争など、世界中が厳しい状況にあり、社会が複雑になっています。そんな中で作られた作品について考えることや、クリエーション全般に対して敬意を持つことも感じてほしいですね。いろいろな見方のできる人や、芸術を学んでさまざまなカタチで社会にかかわる人が美術大学から出てくるといいなと思っています。